へぼの歴史

 へぼに関する文献が非常に少なく、それに伴って出来事についての記載されていることも少ない状況です。したがって、数少ない文献と情報の基にへぼの歴史・年表を作成しました。

 

暗黒期

文献が残って無くたぶんへぼはこう存在し、こう見つけて、こう食べられていたという想像の時期

黎明期

1713年 

江戸

「和漢圖繪」

(寺島良安著)

蜂の種類を説明した書。蜜蜂、土蜂(オオスズメバチ)、木蜂(コガタスズメバチ)、黄蜂(キイロスズネバチ)と区別しその説明と食べられることの説明。

1803年

「草木綱目啓蒙」

(小野蘭山著)

今風の動・植物図鑑で、植物にウエイトをおいて書かれた本。「閉防=へぼ」の用語が現れる。

「想山著聞奇集」 

(三好想山著)

江戸時代における奇行、珍事をとりあげ紹介した本である。                    美濃の郡上藩では、江戸詰めの藩士が藩邸(青山別荘)の庭にて蜂を掘って食べた記載があります。                      蜂を掘る時期は月の15日、つまり満月に掘ると中身がしっかりつまって重いという記載があります。

明治6年

近代

1850年

1873年

{へぼの販売}

岐阜県高山の久々野村では地域の特産物としてへぼを販売した。

1884年

17年    

長野県もへぼの販売記録あり。

1902年

35年

{へぼの採取、飼育方}

へぼの採取に、蛙の肉を真綿に付けて持ち運ぶ方法が確立したという記述があります。家で飼育する方法も確立したという記述もあります。

1910年     43年

{へぼの缶詰製造}

長野県佐久郡の窪田太助氏が1906年にへぼの佃煮の製造をしました。4年後に缶詰が製造されました。